流れ雲

繰り返しと積み重ねの過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく、神戸発信

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

知られざる命 
Author: 壇次郎


北海道を舞台に、歴史に翻弄された
小さな命がありました。
太平洋戦争から近代に至る出来事に
感動される物語です。
誰もどうすることの出来ない悲しい事実が
ありました。
命の大切さを考えさせられます……  


最終章 時の流れ……

私(夢庵壇次郎)は若い頃、
ある製薬会社で営業マンをしていました。
1983年1月27日の出来事です。
当時の私は23歳で新米の営業マンでした。
晴れた日には津軽海峡を挟み、
遠く青森の竜飛岬が良く見える小さな漁村に、
私は来ていました。
私はその村の小さな診療所にいました。
そして、いつも自分の会社の薬を
利用してくれている医者に会う為、
待合室で医者の診療が終わるのを待っていました。
診療所は歩くとミシミシと音がする板張りの床で、
薄暗い古い建物でした。
待合室には1台のテレビが置いてあり、
人がいてもいなくても、いつも
一日中スイッチが入れられていました。
お昼頃であったでしょうか、NHKテレビでは、
青函トンネル貫通の瞬間を生放送していました。
私は独り、誰もいなくなった待合室の長椅子に腰掛け、
何気なく、特に関心も無く、その番組を見ていました。
テレビの画面は、北海道側からトンネルの最先端を写しています。
そのうちに画面からは人影が消えて行きました。
映し出されているのは、岩の壁だけになりました。
そして、テレビからは秒読みの声だけが聞こえて来ます。
「5,4,3,2,1,0・・・発破!」
号令と共に画面の向こうは爆発音に混じって
土ぼこりが舞っています。
すると、まだ残る土ぼこりの向こうから、
一筋のライトの明かりが顔を出しました。
たちまち、青森側から北海道に吹き込む風が、
ほこりを一掃してくれました。
内地の風がトンネルを通って北海道に流れ込みました。
「万歳! ばんざい!」との大勢の祝福の声と共に、
たくさんの工事関係者が先程まで
北海道と内地を隔てていた場所に集まり始めました。
皆、さっきまで壁の向こう側にいた人々と、手を取り合い、
肩を抱き合い、互いに喜びを分かち合っていました。

その時、私の後ろに、一人の老婆がやって来ました。
老婆は入院中の患者さんでした。
「トンネル、つながったんですか? 
うちの息子、あそこにいるんですよ・・・」
老婆は、静かな口調で私に言いました。
老婆は立ったまま、いつまでも、
いつまでもテレビの画面を見つめていました。
私にはその老婆の心中は想像もつきません。
ただ、北海道と本州が一つにつながった現実を
目の当たりにして、言葉では言い現せない、
何か深い想いがあることだけは察することが出来ました。
「ムアン製薬さん、どうぞ・・・」
先生の診療が終わるのを待合室で待っていた私に、
外来の看護婦さんが声をかけました。
私は営業カバンを持って椅子から立ち上がり、
そして、ふと、後ろに立っていた老婆が
身に付けてある点滴袋に目が行きました。袋には、
「三好 華」
と、彼女の名前が記されていました。

Author: 夢庵壇次郎
http://www.newvel.jp/library/pso-1967.html


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る

歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


「都々逸」 美空ひばり / 古賀政男(三味線)



都々逸は、江戸末期に初代の
都々逸坊扇歌(1804年-1852年)よる定型詩で、
七・七・七・五の形式となっているが、
ときに五字冠りと呼ばれる
五・七・七・七・五となることもある。
本来は、三味線の伴奏で歌われ、
音曲師が寄席や座敷などで演じていた。
テーマは、多くが男女の「情け」、
つまり惚れたはれたです。


マダム&近藤等則「吉原」



昨日という日は歴史、
 明日という日はミステリー、
  今日という日は贈り物、


時は絶えず流れ、
    今、微笑む花も、明日には枯れる