流れ雲

繰り返しと積み重ねの過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく、神戸発信

信じれば真実、疑えば妄想……

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メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

創作、ドキュメンタリーです。
ストーカー行為から脅迫に至った
加害者を相手に、
刑事、民事と奮闘したあげく、
独りで裁判に持ち込みました。
このストーリーでは、
民事裁判の手法や解説を交え、
被害者が直面されるであろう
問題点についても訴えています。

Author: 壇次郎


独りっきりの裁判 第1-17話 
(興信所)


依然として続く無言電話に、
私の不安は治まることがありませんでした。
携帯電話ですと、発信者番号が表示されるので、
すぐ、中村だと解ります。
こちらから電話をしても、
電源が入っていない様子ですので、
自分から電話をする時以外は、
電源を切っているのでしょう。また、
警察から電話がかかって来ることを
嫌っているのでしょう。
その後の警察は、中村の行った脅迫に対し、
特に動く様子も無く、困っていた私は、
偶然にも、捨てずに持っていた興信所からの
DMに気付きました。DMには、
浮気の調査、ストーカー対策、
裁判資料の作成、その他、
いろいろな揉め事の相談に乗りますと
書いてありました。早速、
私はその興信所に電話をしてみました。
協力者の居ない私にとっては、
多少費用がかかっても専門家に依頼する
決心をしました。
電話で簡単に説明した後、
興信所の調査員が訪ねて来ました。
30歳代初めくらいの男性と、
20歳代半ばくらいの女性が来ました。
私は早速、録音テープを聞かせ、
今までに中村が残した手紙やメモを見せ、
清掃員として雇った経緯から、
中村の働きぶり、どんな様子の人物だったか、
詳しく説明をしました。そして、
この脅迫を止めさせたいとの希望を伝えました。
調査員は、テープに録音された
中村の声を聞いたとたん、すぐさま
、どんな人物で、どんな心理状態かを
察した様子でした。やはり、
春になると、この様な相談は増えてくるそうです。
調査員は仕事上、
いろいろなケースを経験しているそうです。
ストーカー絡みの相談も、
よく依頼されるとの事でした。
恋愛感情の縺れから、車を燃やされた
女性の相談者が、相手に300万円を請求し、
勝ち取った後、被害者と加害者が
一緒に暮らし始めてしまったという、
おかしな例も経験したそうです。
中村の様に、宗教が絡んでしまうと、
特に厄介だそうです。
宗教にのめり込んでいる人物には、
正論が通じない例が多く、
更に通常の精神状態とは思えない場合は、
警察も、弁護士も手を出さないそうです。
まず、中村本人の身元を調べ、
それに関連して身内の調査をする事となりました。
刑事告訴するにせよ、裁判所に提訴するにせよ、
本人の間違いない身元情報が必要ですし、
示談交渉をする場合でも、
中村の身内の人間と交渉しない限り、
解決の道は無いだろうとの事でした。
私は興信所の調査員の言われるままに、
とりあえず、本人と2人の娘、計3名の
身元調査を依頼しました。そして、
一人15万円、合計45万円+消費税を
早速、興信所の銀行に振り込みました。
ここは地方都市ですので、
このくらいの金額で済みますが、
東京ならば二倍くらいの金額になるそうです。
交渉事を依頼するには、
別途、百万円ほどが必要とのことでした。
交渉専門の担当者がいるそうです。
また、ヤクザが出て来たら、それなりの
対応も可能だそうです。更に、
顧問弁護士もいるので、
裁判にも対応出来るとの事でした。
興信所によっては、依頼相談を
電話だけで済ませてしまうところもあり、
それはあまり良くない興信所だそうです。
調査によっては、携帯電話番号だけで
簡単に身元が判り、
この様な簡単な調査の場合では、
1件5万円という業者もいるそうです。
個人情報保護法案が出来ても、
ノウハウに熟知したプロにとって、
個人情報を引き出すのは、
簡単なことなのでしょう。
調査結果が出るには4週間程かかるそうです。
私は、その結果が出る5月下旬まで、
待つことにしました。
調査員は、予め、私に
支払い可能金額を聞きました。
その予算内で出来る、有効な手段を
考えるとのことでした。
また、もし緊急事態が発生した場合には、
すぐに連絡が取れる様、
携帯電話の番号も教えてくれました。
24時間対応してくれるそうで、
この自信満々な調査員の姿に、
私は安心感を覚えました。
私も含め、皆、人と言うのは、
未知の分野に遭遇すると不安になるものです。
揉め事や争いの対応に熟知した専門家は、
頼りがいのある存在でした。
別に、私は金銭的に裕福でもありません。
こんなことに、高額な費用を支払うことには、
ためらいもありました。でも、
無知で臆病な私にとって、
他に頼る術がありませんでした。
5月の連休が終わった頃になると、
中村からの電話、手紙も、来なくなりました。
あれだけ続いていた携帯電話の着信記録は、
すっかり見られなくなっていました。
警察の生活安全課の方が言っていた通り、
気候が安定してきた為、
中村の精神状態も落ち着き、
自然と治まったのかもしれません。
そうなりますと、興信所に高額な費用を払って、
調査を依頼した事は、間違いだったのではと、
私は後悔していました。
そう、安心していた5月中旬、突如、
6階のビル管理事務所に中村が現れました。
気候が安定したからと言って、
決して安心できる訳ではありませんでした。
中村の妄想は決して治まることを知りませんでした。
幻覚症状はついに第三者をも
巻き込んで行くことになってしまいました。

続く

Author: 夢庵壇次郎
http://www.newvel.jp/library/pso-1967.html


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


散る桜殘る桜も散る桜・鶴田 浩二、



本名は小野 榮一

1924年12月6日 ~ 1987年6月16日)
静岡県浜松市出身
高田浩吉と大曾根辰夫監督の尽力で松竹入り。
芸名の「鶴田浩二」は師匠の
高田浩吉」に由来する
恋人と噂された岸惠子と、
戦後最大のロマンスといわれた二人だが、
岸が所属する松竹はそれを許さなかった。
鶴田は自殺未遂事件を起こす。
同年、「男の夜曲」で歌手デビュー。
歌手としてもヒットを飛ばし
戦後の日本を代表する大スターとなっていく。
歌唱法
22歳の時に薬の副作用で、左耳が難聴になってしまう。
1951年松竹映画「地獄の血闘」に出演した際、
共演した歌手の田端義夫に、
歌唱方法についてのアドバイスを受け、
以後、鶴田は「左耳に左手を沿えて歌う」と言う
独特の歌唱スタイルになった。
他にも右手小指を立て、マイクを
白い「ハンケチ」で包む歌唱スタイルでも有名である。
1987年6月16日に肺癌のため62歳で死去。
鶴田の死去からわずか1か月後の
1987年7月17日、鶴田と同じく昭和の大スターだった
石原裕次郎が、52歳で肝細胞癌により亡くなっている。
又鶴田とも親交が深かった美空ひばり
当時入院中で、
1989年6月24日に間質性肺炎と呼吸不全のため、
52歳でこの世を去った。



昨日という日は歴史、
明日という日はミステリー、
今日という日はプレゼント
(贈り物)


時は絶えず流れ、
    今、微笑む花も、明日には枯れる




P R

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 特 長
塗装表面に塗布するだけで、
極薄いガラス皮膜を形成します。 
汚れが内部まで浸透しない為、
お手入れがラクラク
奇蹟の1滴