流れ雲

繰り返しと積み重ねの過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく、神戸発信

歴史・履歴への許可証

pass into history
歴史・履歴への許可証
his personal history
(人の)履歴,経歴
(事物の)来歴,由来,沿革,
 由緒(ゆいしょ)、いわれ


昨日という日は歴史、
明日という日はミステリー、
今日という日はプレゼント(贈り物)


明日咲く つぼみに 
三波春夫さんは、 晩年前立腺がん
(平成6年1月宣告)におかされますが、
(平成13年4月14日)(享年77歳)に亡くなるまで、
家族以外には内緒で歌手活動を続けていました。
三波さんは新しい境地を切り開きたいと、
永六輔さんに歌詞を依頼(平成8年の暮れ)します。
永六輔さんは喜んで引き受けます。
そして出来たのが「明日咲くつぼみに」という歌詞です。
早速レコード録音となりますが、
三波さんはいつものとおり、こぶしを回して
張りのある明るい声で歌います。
しかし、これに永は頭を縦に振りません
もっと、元気なく優しく歌って欲しいと言うのです。
永は、何歳になっても百歳になっても
歌ってもらえる歌にしたかったのです。
だからボソボソと語るように歌って欲しいのです。
浪曲界から歌謡界に転身、
本来の明るく前向きな性格に裏付けされた
歌い方が確立されていたため、
それを変えるのは、 きっと生き方を変えることくらいに
難しいことだったのだろうと思います。
なかなか、永の言うとおりにはなりません。
付き添っていた三波さんの妻ゆきは、
永の要求は三波には無理だと言って頭を下げます。
しかし、その直後、
永はスタジオの窓越しに奥さんの怒鳴り声を聞きます。
永六輔さんの言っていることが分からないのか。
力を抜け、三波春夫じゃないか。
もう三波春夫はいないのか。」 と
怒鳴っていたのです。
永は泣いたそうです。
この奥さんがいて三波春夫があると思ったそうです。
その後、永の思いどおりのレコーディングが終了しました。
永六輔三波春夫さんの癌を知ったのは、
亡くなってからのことです。
知っていたら書けない詩だったと言っています。
私はこの話を聞いて、本当に心を打たれました。
感動しました。
三波春夫さんもさることながら、
奥さんのゆきさんにもです。
思いやりの極致を見たからです。
我々凡人が出来る、夫(又は妻)への思いやりは、
せいぜい、静かに死なせてやるくらいのものではないでしょうか。
癌で病んでいる夫(又は妻)に、
きつい言葉など投げつけることが出来るでしょうか。
思いやり・・・茂木健一郎
「学力と比例する」と言い、
養老孟司は「他人の心が分かることが
教養である」と言い切ります。



父の姿
母の彼氏に殴られたのを助けた
父にまつわる話し


  

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない