流れ雲

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「下座に生きる」毛布の下の合掌 

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明日という日はミステリー、
今日という日はプレゼント(贈り物)





「下座に生きる」毛布の下の合掌 


三上さんが院長室に帰ると、そこに院長先生がいた。
昨晩は家に帰らず、院長室のソファに寝たようだ。
「あなたがあの部屋で看病していらっしゃると思うと、
帰ることができなかったのです。
夜中に二度ほど様子を覗きに行きましたが、
夜通し足をさすっていらっしゃった。
頭が下がります」
「いえいえ」と言っている時に、
院長室のドアが慌ただしくノックされた。
どうぞという院長の声に息せききって入って来たのは、
若い医師だった。
「ちょっと報告が・・・・」という声に、
院長は座を立って、事務机の方で
若い医師の報告を聞いた。
そして聞くなり、叫んだ。
「三上先生 ! 津田卯一がたった今
息を引き取りました」
「えっ!」  三上さんは茫然とした。
「でも、昨日は十日は持つとおっしゃっていたのに・・」
当直の若い医師が真面目な顔で切り出した。
「不思議なことがあったのです。
あいつはみんなの嫌われ者で、
何か気にいらないことがあると、
『殺せ ! 殺せ ! 』とわめきたてていました。
なのに、一晩で まるで変わっていました」  
「というと」と三上さんは聞き返した。
「今朝、私が診察に入って行くと、
いつになくニコッと笑うのです。
おっ、今朝は機嫌がよさそうだなと言い、
消毒液を入れ換えて、
いざ診察にかかろうとすると、妙に静かです。
卯一 ! 津田 ! と呼んでみましたが、
反応はありません。死んでいたのです。
私が入って来たときと同じように、
うっすらと 微笑さえ浮かべていました。
私はあわれに思って、
『お前ほどかわいそうな境遇に育った者は
いないよ』と言いつつ、
はだけていた毛布を直そうとしたのです。
ところが・・・・」  
若い医師は信じられないものを見たかのように、
深く息を吸い込んだ。
三上さんもつられて大きく息を吸い込んだ。
「毛布の下で合掌していたんです !
あいつが、ですよ・・信じられない・・
・・合掌していたんです」  
涙声に変わっている。院長もうつむいている。
三上さんもくしゃくしゃな顔になった。
「・・・・卯一、でかしたぞ。よくやった。
合掌して死んでいったなんて・・・・
お前、すごいなあ・・・・すごいぞ」  
あたかもそこにいる卯一に語りかけているようだ。
「な、わしも約束は忘れんぞ。命のあるかぎり、
講演先でお前のことを語り、死ぬ前日まで
親御さんは大事にしろよと言ってたと言うぞ」
そこまで言うと、三上さんは泣き崩れた。
肩を震わせて泣く三上さんのかたわらで、
院長も若い医師も泣いた。
「卯一よお、聞いているかあ・・・・・。なあ、
お前の親のことを恨むなよ・・・。
少なくとも母さんは自分の命と引き換えに
お前を生んでくれたんだ。それを思うたら、
母さんには感謝しても感謝しきれんがな・・・・」
三上さんはしゃくり上げながら、
虚空に向かって話している。  
「それになあ、
お前に辛く当たった大人たちのことも
許してやってくれ・・・・。
わしもお詫びするさかいなあ・・・・。
みんな弱いんだ。同情こそすれ、
責めたらあかんぞお・・・」  
三上さんの涙声に、院長の泣き声が大きくなった。
そうだった。誰も人を責めることはできないのだ。  
責めるどころか、お詫びしなければいけないのだ。
いさかい合い、いがみ合う
世の中を作ってしまっていることに対し、
こちらから先に詫びなければいけないのだ。
そうするとき、和み合い、睦み合う
世の中が生まれてくるのだ。
病院を出て、次の講演先の
高校に向かう三上さんの肩に
秋の陽が踊っていた。
終り

あれだけ反抗的だった少年が死に際
三上さんと出会って、
誰かの役に立つ為に生まれてきたことを知り、
病院のみなさんに感謝して死ぬことで
彼は約束を果たしたのだった。
下座に生きる それはもっとも
尊い人としての行き方。

神渡良平著  致知出版社発行より


幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない